…というのは私のロシア語の先生が言ってたのです。笑
ロシア語では、「尊敬する○○さん」とか、「親愛なる△△」とかそういう接頭辞的なものをよく使うんですが、
ロシア語の先生に「尊敬するリディア・アレクセーエブナ」←先生の名前、と言ったら
ちょっぴり複雑そうな顔をして「マキコは私を尊敬してるのねそうなのね」と言うので、
尊敬してますよそりゃ、と言ったら、
「もう少し深い関係かと思ってた、尊敬と好きはちょっと違うじゃない」とか言うので、
先生かわいいなぁと思いました。笑
そして先生の言いたいことはなんだか分かる。
尊敬というのはある意味その人の素晴らしい面を崇めてるだけなのかもしれない。
好きというのは、その人の欠点もひっくるめて愛おしいということなのかな。
そして意外とロシア人もそういうので距離感を計ってるんだなぁと改めて思った時でもあり。
まぁロシア人の呼び方の話はチャイコフスキーの書簡集を読んでておもしろかったので今度書くとして。
尊敬する作曲家はバルトークだと前々回書きましたが。
好きな作曲家を1人あげろと言われたら、ブラームスです。またロシア人じゃないのか。笑
単純にと言ったらおかしいですが、ブラームスを弾いてると落ち着くんです。
演じなくてもいいというか。そのままの自分で弾いてもしっくり来る率が高いというか。
まぁパガニーニバリエーションとかは頑張らないと無理ですけど。そしてたぶんもう弾かないけど笑
モスクワで勉強していた時、台湾人のとっても思慮深い友人ピアニストが、
「たとえばベートーヴェンの3番ソナタがコンクールの課題曲で、あの明るいソナタを一番よく弾いた人が1位になるんだとしたら、世界で一番明るい性格のピアニストが一番上手いということになるのか(つまり自分はピアニストに向かないんじゃないか)」と悩んでて、かわいいなぁと思ったんですけど(笑)、
それに私は「その例えで言うと、一番明るさを演じることが出来たピアニストが一番上手いってことだからね、良い演じ手にならなきゃいけないよね」って答えたのだけど。
どんな曲でも出来るだけ素敵に弾きたいし、
そのためにいろんな人格を想像して、自分の中にないキャラクターも演じたりするけど。
そういう意味ではブラームスを弾くときは、そういうことをいろいろ考えなくても私の場合比較的大丈夫。
特に後期の小品集あたりは、心の奥底の孤独感に染み渡る感じがして。
ブラームスを弾いていると、元気をもらうわけじゃないんだけど、ふと隣にいてくれる気がして。
共感してもらえたが故に上を向ける、みたいな感じかなー。(分かりにくいかな)
なぜかブラームスはピアニストでもあったくせにピアニストに優しくないところも多く、
これ弾けると思って書いたの?みたいな弾きにくいところがたくさんあるし、
一部の人にはクサいと言われるような節回しもあったり、
あと二面性が激しすぎていきなりハンガリー舞曲とか書いちゃったりするけど。笑
でも好き。なんだか好き。笑
ということで、明日赤坂でブラームスも一曲弾きます。名曲op.118-2です。
もしお時間ございましたらぜひご来場下さいね〜。
2014年08月25日
2014年08月21日
ラフマニノフとかなんとか
…ということで、26日のコンサートのために何だか精神的に追われています。
(お客様引き続き受付中です、上のInfomationをぜひご覧下さい!ご連絡はContactからお願いします♪)
精神的に追われるとなぜかすさまじく眠くなるので本当に困る。
睡眠時間が少なくても済む体質だったらもうちょっと出世するんじゃないかと真剣に思う。笑
そしてさっき時計についているカレンダーの21日を27日と空目し、
ちょっとお茶を吹きそうになったんですが、27日だったらもうコンサート終わっとるからどうにしろ良いではないか。笑
さて、コンサートでラフマニノフのプレリュードを1曲弾くのですが。
久々のラフマニノフは本当にしみわたる。なんというか、いい曲〜って感じが半端ない。笑
以前、ラフマニノフは鐘と歌から出来ているとロシア人の先生から言われたことを書きましたが、
それともう一つ、ラフマニノフの音楽はロシアの自然を音にしたんだなぁ、と、弾いているといつも思います。
私が弾くのはop.32の5なのですが、長調から短調になり、そして長調に戻るときのそのあたたかさに、
バービィレータ(秋に一日だけ気温の上がる日、日本語で言うと小春日和?小夏日和??)のような、
晴れて暖かい日に、ふーっと雲が来て、さーっと雨が降って、また雲が切れ日が差すような感じを思い出します。
ロシア人というのは、暖かさに恋焦がれている人達なのだと個人的には思っているんですが。
日本人の、冬を越えて春になるのと、ロシア人のそれは、ちょっと違う意味合いがあると思うのです。
ある日突然春が来て、厳しい冬が終わったんだと気づく、あの感動。
ロシアの春は、私には、ある日突然来る感じがあって。
徐々に暖かくなって、少しずつ芽吹いて、とかというより(もちろんちゃんと見ればそうなんですが)、
ある日突然気づくと、木々が緑に覆われ、花が咲き、灰色の世界が色とりどりになっているのです。
あぁ、春が来たんだ!と、うきうきする感じ。あれはもう、浮き足立つとはまさにこのこと、って感じ。笑
あたたかさは、ロシア人にとって、生の象徴でもあり。
あの、-30℃の世界から、+20度の室内に入った時の、安心感。
あれはもう本当に、生きてるなぁといつも思っていました。笑
だからこそ、ロシアものの風景を描いた曲の長調は、その暖かさを愛おしむ気持ちが透けて見えて、
いつもいつもこれを、自分が思うより極端に大事にしなければいけないと思うのです。
…思うのですがね。思うのですが。これを表現するのに、まさに今、苦心しています。
音大時代、親友から、「まっこはね〜左手が下手だね〜」と言われたのがぐるぐる頭の中を回っています。笑
いやいや右手も下手なんですけど!どしたらいいの!笑
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精神的に追われるとなぜかすさまじく眠くなるので本当に困る。
睡眠時間が少なくても済む体質だったらもうちょっと出世するんじゃないかと真剣に思う。笑
そしてさっき時計についているカレンダーの21日を27日と空目し、
ちょっとお茶を吹きそうになったんですが、27日だったらもうコンサート終わっとるからどうにしろ良いではないか。笑
さて、コンサートでラフマニノフのプレリュードを1曲弾くのですが。
久々のラフマニノフは本当にしみわたる。なんというか、いい曲〜って感じが半端ない。笑
以前、ラフマニノフは鐘と歌から出来ているとロシア人の先生から言われたことを書きましたが、
それともう一つ、ラフマニノフの音楽はロシアの自然を音にしたんだなぁ、と、弾いているといつも思います。
私が弾くのはop.32の5なのですが、長調から短調になり、そして長調に戻るときのそのあたたかさに、
バービィレータ(秋に一日だけ気温の上がる日、日本語で言うと小春日和?小夏日和??)のような、
晴れて暖かい日に、ふーっと雲が来て、さーっと雨が降って、また雲が切れ日が差すような感じを思い出します。
ロシア人というのは、暖かさに恋焦がれている人達なのだと個人的には思っているんですが。
日本人の、冬を越えて春になるのと、ロシア人のそれは、ちょっと違う意味合いがあると思うのです。
ある日突然春が来て、厳しい冬が終わったんだと気づく、あの感動。
ロシアの春は、私には、ある日突然来る感じがあって。
徐々に暖かくなって、少しずつ芽吹いて、とかというより(もちろんちゃんと見ればそうなんですが)、
ある日突然気づくと、木々が緑に覆われ、花が咲き、灰色の世界が色とりどりになっているのです。
あぁ、春が来たんだ!と、うきうきする感じ。あれはもう、浮き足立つとはまさにこのこと、って感じ。笑
あたたかさは、ロシア人にとって、生の象徴でもあり。
あの、-30℃の世界から、+20度の室内に入った時の、安心感。
あれはもう本当に、生きてるなぁといつも思っていました。笑
だからこそ、ロシアものの風景を描いた曲の長調は、その暖かさを愛おしむ気持ちが透けて見えて、
いつもいつもこれを、自分が思うより極端に大事にしなければいけないと思うのです。
…思うのですがね。思うのですが。これを表現するのに、まさに今、苦心しています。
音大時代、親友から、「まっこはね〜左手が下手だね〜」と言われたのがぐるぐる頭の中を回っています。笑
いやいや右手も下手なんですけど!どしたらいいの!笑
2014年08月19日
バルトークの続き
コンサート情報、上のInfomationにアップしてありますので、
ぜひご覧くださいませ。というよりもう1週間後なのですが、今から告知なので。
ぜひ少しでも心に引っ掛かった方がいらっしゃったら、ご来場頂けますととてもうれしいです。
ご連絡はお気軽に、Contactからどうぞー。
さて、前回の続き。バルトークのお話。
私はロシアに留学して、ロシア音楽史も教えていますが、
一番尊敬している作曲家を1人だけあげろと言われたら、実はバルトークです。
初めてバルトークのことをちゃんと知ったのは、実は文化人類学辞典の中で、でした。
なので、私の中では彼は作曲家と言うよりフィールドワーカーというイメージが強いのです。
ピアノを弾き、密度の濃い曲を書き、コンサートツアーもし、教授活動もし、結婚もして(しかも2回もだ)、さらに遠くはアフリカの方までフィールドワークに出かけてハエの入ったコーヒーを振舞われたりしながら民謡などを収集してきて、それを後世の人が見ても分かるくらいのアーカイブに仕上げる(←行って収集、より、その後のこの作業が圧倒的に時間も手間もかかるし大事、しかも第二次世界大戦中の話)
ピアノと研究(なんて大それたこと言っていいんだろうか)のバランス程度で悩む私にはちょっと信じられない両立っぷり。尊敬せずにおられるか。という。
ピアノを弾くうえで、歌うように弾く、というのは良く言われることですが、
それよりもっと原始的な意味で、そもそも音楽は言葉から生まれたもので、
バルトークは多分そのあたりに立って、
その節の付いた自由な言葉たちの流れをいかに楽譜に落とし込むかに苦心しながら、
それでいてそれをピアノ曲として芸術性の高いものにするという、
かなりハードルの高いことをやってのけているところに、もう、すごいっす。と。笑
で、自分の楽譜を見てみると。
うちの先生が、そのバルトークの指示をどうやって弾くか、を、一生懸命書いてくれてあります。
あらためて、この曲をあの時持って行こうと思って良かったなぁと思います。
ただ指を動かし、楽譜通りに、間違えないように弾かないと「落とされる」音楽の世界の中にいた私が、
音楽とはそもそもそういうものではないと方向転換させられるきっかけになったのではないかと。
言葉を、歌を、ピアノで弾くにはどう身体を使ったらいいのか、を懇切丁寧に教わったこと、
そしてこういう難しくない曲で、それを一つずつ悩んでみたことが、
その後どの曲を弾く時でも生かされていると思いま…生きているといいなぁ。笑
…と、ここまで熱く語っておきながら。
バルトークは暗譜が難しいのをすっかり忘れていた。
もう弾くって言っちゃったしなー。れ、練習しまーす。笑
ぜひご覧くださいませ。というよりもう1週間後なのですが、今から告知なので。
ぜひ少しでも心に引っ掛かった方がいらっしゃったら、ご来場頂けますととてもうれしいです。
ご連絡はお気軽に、Contactからどうぞー。
さて、前回の続き。バルトークのお話。
私はロシアに留学して、ロシア音楽史も教えていますが、
一番尊敬している作曲家を1人だけあげろと言われたら、実はバルトークです。
初めてバルトークのことをちゃんと知ったのは、実は文化人類学辞典の中で、でした。
なので、私の中では彼は作曲家と言うよりフィールドワーカーというイメージが強いのです。
ピアノを弾き、密度の濃い曲を書き、コンサートツアーもし、教授活動もし、結婚もして(しかも2回もだ)、さらに遠くはアフリカの方までフィールドワークに出かけてハエの入ったコーヒーを振舞われたりしながら民謡などを収集してきて、それを後世の人が見ても分かるくらいのアーカイブに仕上げる(←行って収集、より、その後のこの作業が圧倒的に時間も手間もかかるし大事、しかも第二次世界大戦中の話)
ピアノと研究(なんて大それたこと言っていいんだろうか)のバランス程度で悩む私にはちょっと信じられない両立っぷり。尊敬せずにおられるか。という。
ピアノを弾くうえで、歌うように弾く、というのは良く言われることですが、
それよりもっと原始的な意味で、そもそも音楽は言葉から生まれたもので、
バルトークは多分そのあたりに立って、
その節の付いた自由な言葉たちの流れをいかに楽譜に落とし込むかに苦心しながら、
それでいてそれをピアノ曲として芸術性の高いものにするという、
かなりハードルの高いことをやってのけているところに、もう、すごいっす。と。笑
で、自分の楽譜を見てみると。
うちの先生が、そのバルトークの指示をどうやって弾くか、を、一生懸命書いてくれてあります。
あらためて、この曲をあの時持って行こうと思って良かったなぁと思います。
ただ指を動かし、楽譜通りに、間違えないように弾かないと「落とされる」音楽の世界の中にいた私が、
音楽とはそもそもそういうものではないと方向転換させられるきっかけになったのではないかと。
言葉を、歌を、ピアノで弾くにはどう身体を使ったらいいのか、を懇切丁寧に教わったこと、
そしてこういう難しくない曲で、それを一つずつ悩んでみたことが、
その後どの曲を弾く時でも生かされていると思いま…生きているといいなぁ。笑
…と、ここまで熱く語っておきながら。
バルトークは暗譜が難しいのをすっかり忘れていた。
もう弾くって言っちゃったしなー。れ、練習しまーす。笑