工藤真希子 Official Website

2016年08月03日

かわいいって、言われたい

前回の更新から1ヶ月以上経ってしまいました。申し訳ありません!
大学の講義が夏休みに入り、少し落ち着きましたので、次の波が来る前に、更新しようと思います。

この1ヶ月、実は心理学のお勉強をしていました。
別に教えようとかそういう気持ちがあるわけではなく、
何か自分の人生が良い方向に進めばいいなと、本当に軽い気持ちで触ってみたのですが、
当然人間の心理なので思いのほか深く深く、
自分の中の闇を見るはめになり笑、結構大変でした。

このブログをご覧の皆様はうすうす感づいていらっしゃるかと思いますが、
私は、自分が可愛く見えるのがどうしても苦手で、恥ずかしくて、
ブログの文章もどうしても硬い文章になってしまったり、
ピアノも男っぽかったり、性格もはっきりしていたり、そんなところがあるのですが。
ピンクとか、スカートとかも、ちょっと、恥ずかしい笑

そのくせ他人が可愛かったりすると、自分がなれるわけがないのに、うらやましかったり。
他人がピアノが上手かったりは、自分が頑張ればいいし、
認められないのは、まぁ、順番だと思うことにして。
でも、可愛いのは、頑張ったって、待ったって…という感じで、うらやむ気持ちが消えず、
また、そういう自分が、つらかったのです。

本当は人づきあいも、広く浅くよりも、狭くどこまでも深くが良いタイプで、
でも、広く浅く、フットワーク軽く誰とでも仲良くなれる人がうらやましくって。
そういう人をうらやむ自分の気持ちに、押しつぶされそうだった。
ピアニストの性格としてあまり良くないのかな、とか考えてしまったり。

たった1ヶ月ですから、そういう自分の闇を捨て去ってすっきり、というわけにはいっていないのですが、
だからといって、他人の人生を歩めるわけでもないし、
私は、この容姿で生まれてきたから、今の人生があるわけだし、
このまま、自分の身の丈に合ったことを一つずつしていこうと、思えるようになりました。

でも、かわいい子はうらやましいけど、単純に良いなって思います。笑 (注:異性愛者です。あしからず笑)
可愛いものはかーわーいーいーー♡と愛でます。笑

自分の問題として、の話ね。
私、かわいくなりたかったし、かわいいって言われたかったんですよね。笑

そして、どうしても性格上、しっかりしてるねーって言われることが多くって。
それはそれで、褒められたらとてもうれしいのですが。褒められるの大好き。笑

でも、今までは、「しっかりしてる」が気が付くとオーバーフローしていて、
息切れしてるのに続けちゃうことが多かったのですが、
最近は、楽しいところを見つけるつもりですべての物事に接するようにしていたら、
オーバーフローすることがなくなって、人生が楽しくなってきました。

やってることは何にも変わってないですけどね。
ただ、何が起きても、逆に楽しいかも、と思うようにしただけ。

そんな矢先にあった、横須賀でのイベント。
私、10月8日に横須賀で演奏会に出るらしいのですが(また追って告知しますね)、
そのPRイベント的なものがあったのです。

初めての場所、なじみのない街。
でも、大丈夫、楽しいよ、と思っていたら、楽しかった。
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リーダーの宮川久美さんと、キッズ部門のお子ちゃまたちと。子供のメンタル、強し。笑

びくびくしながらでも、切り込んで、なじめるのが、私の長所。だと思う笑
これからもたくさん、楽しいことが待っていると信じて、
ゆっくりひとつずつ、きちんと、私らしく、臨んでいけたらなと思っています。

ちょっといつもと色の違う記事になりましたが、こういう心の動きも、混ぜていけたらと思っています。
ピアニストだって、ただの人間ですよ。笑

次は告知2つ+お知らせ!たぶん!笑
ムソルグスキーのことも、忘れていませんよ。9月くらいには書けるかと。お待たせしてしまってすみません。
今後とも、よろしくお願い致します(^^)
posted by makiko-kudo at 22:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常

2016年05月27日

ぎりぎりじゃない男

前回の続き。

リュビーモフ2日目。
この日は東京ニューシティ管弦楽団とのコンチェルトでした。
ハイドンのピアノコンチェルトと、ストラヴィンスキーのピアノと管楽器のためのコンチェルト。
前半最後にハイドン、後半最初にストラヴィンスキーでした。

ニューシティ管の演奏会は、おそらくオケのサポーターの方たちが大半を占めていて、
前回のリサイタルのようにリュビーモフファンが大勢いた感じはしなかったのですが、
それでもハイドンが終わった後、鳴りやまぬ拍手。なんだかうれしかった笑。
本当、音のキレといい、その疾走感といい、凄かった。素晴らしかった。

リュビーモフは絶対に守りになんて入らないのです。
でも攻めてる感じもあまりしないというか。
そのテンポで弾くべきだから弾く、の、そのテンポ、が、ものすごく速い。
でもリュビーモフ自身が無理していないテンポなので、とっても安心して聴ける。
装飾音や繰り返し後の変奏など、リュビーモフ式の盛りだくさんだったのですが、
それも無理して入れている感じが全然なくて、自然に入っているので、
もうなんだか、すごいマジックを見せられた気分。演奏を聴きながらついにやにやしちゃう私。笑

後半のストラヴィンスキーは、生きているうちにリュビーモフの演奏で聴けるなんて、と、
鼻息荒い感じで休憩時間が終わるのを待っていたわけですが笑、
すんごい良かった。何より、オケがよく頑張った!よくリュビーモフに付いていった!
当然ながら、リュビーモフが連れて来たという若手指揮者がいたわけですが、
あれは指揮を見て指示を待ってたら落ちる曲。
管&コントラバスの皆さんに本当によくがんばったで賞を差し上げたくなるような気分でした。

そして、リュビーモフ。本当に72歳か?ともう一度確認したくなるような、若々しい音。
年を重ねて円熟味を増した音、なんてどこ吹く風。
スピード感とか、まったく落ちない。テクニックもばっちり、外さない。
本当に、彼の頭の中がどうなっているのか、見てみたい。

でも、リュビーモフの凄いところは、テクニックがばっちりなのに、
テクニックがばっちりなことは彼の中で当然なので、
お客さんは、凄いテクニックだったね、ではなく、良い曲だったねーってなるのです。
作り込んでいるはずなのに、練習しているはずなのに、全然その裏の努力を感じさせない。
こんなに裏にある努力をつゆとも感じさせないピアニスト、正直初めて見ました。

あと、彼の演奏を聴いていると、
ピアノは「弾く」んじゃなくて「鳴らす」ものなんだなとあらためて思いました。
強い音も、けっこうバンっと出してるはずなのに、いやな感じが全然しない。
変に力まず、そして何の意図も、てらいも無く、
音が出る瞬間だけ、力がピアノに伝わる、というのかな、そういう感じ。

最近、だけでもないのですが、私自身、妙に思考が歳を取ってしまって、
歳をとった先で見えるものを見たい、とか思っていたのですが、
いやいや、違うなと。
その曲にとってどんな年齢の音が必要か。そこまでコントロールして一流だな、と。

歳を取ったら歳を取ったなりの演奏しか出来なくなるのが人間の常なのかも知れませんが、
リュビーモフを見てたら、歳を取ろうが取るまいが、
その曲に合った音が出せるのが一番強いんじゃないかなと思いました。

本当、習いに行きたい。笑
素晴らしいコンサートでした。
posted by makiko-kudo at 09:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常

2016年05月17日

私は月を待つ

閑話休題。ムソルグスキーの話はすこーしだけお待ちくださいね。

先日、日本シベリウス協会の例会に行ってまいりました。
この日は、ピアニスト館野泉さんの奥様でメゾソプラノのマリア・ホロパイネンさんが、
北欧の歌曲についてお話しされるのの通訳を、職場の先輩がされるということで、
ロシア歌曲に興味があるなら北欧の歌曲もおもしろいんじゃない?とお誘い頂いたのです。

フィンランド語というのは、フィン・ウゴル語派というのに属していて、
ロシアと場所的には近いのですが全然違う言葉で、少しも聞き取ることは出来なかったのですが笑、
それでも先輩と、そして館野泉さんの通訳や解説で、楽しいひと時を過ごすことが出来ました。

個人的には、館野さんがぜひ聴いてほしいとおっしゃっていた、
スウェーデンの作曲家ニューストレームの歌曲集《海に寄せる歌》の5曲目、
「私は月を待つ」に心を打ち抜かれました。

これはオケ伴奏なのですが、ピアノの方がいいなぁ。と、ピアニスト的には。笑
そしてこういう曲にどうしようもなく惹かれるのは、私自身が海のそばで生まれたからなのでしょうか。
私の地元の海はヨーロッパの海とはまた違う感じではあるのですが。

実はこの曲、初演前にニューストレーム夫人が自殺していて、まるでそれを暗示するような詩。
夜、海辺の闇の中で、死んだ人について想いを分かち合える、月を待つ、という詩なのです。
この曲に関して、館野さんが、
「僕はアンコールでカッチーニのアヴェマリアをずっと弾いてきてね、
それを聴いてたくさんの人が泣くの、でも僕はピアニストだからね、弾きながら泣いちゃダメでしょ、
でも、この曲だけは、弾いているとどうしても、泣いてしまってね」とおっしゃっていました。

館野泉さんって、実は初めて拝見したのですが、とてもピュアな方、という印象を受けました。
そして館野さんと奥様が、人としても音楽家としても、
お互いにお互いをとても尊敬し、尊重していることがとてもよく伝わってきて、
思いがけず良い会に参加させて頂いたと思います。

その中で、シベリウスの歌曲をマリア・ホロパイネン&館野泉の録音で聴いていて、
例えばグリーグの歌曲などは耳当たりが良く、聴きやすいものが多い印象だったのですが、
シベリウスは「媚びない」作曲家で、演奏するのも難しいそうで、
流れるような歌曲、とは一線を画しているような作品ばかりでした。
その中で、あるお客様が、
「ホロパイネン先生はシベリウスが難しいとおっしゃっていたけれど、
けっこう聴きやすかったです」と言ったところ、
ホロパイネンさんが、「もしそうだと感じたならばそれは、
歌手とピアニストが同じ方向を向いて良い仕事をした証なのだと思います」とおっしゃっていたのです。

クラシック音楽は、難しい。もう、それは仕方のないことなのだと思います。
やっぱりルールが分かれば分かるほどおもしろい音楽なので、
クラシックを聴かない皆様が、敬遠する気持ちも、分かります。

でも、本当に、本当に、良い仕事が出来ていれば。
伝わるんじゃないかな、と思ったのです。
素晴らしいものには、それだけのパワーがあるのだと思うのです。

最近、初心者向け・子ども向けの演奏会と銘打って、
分かりやすい曲を並べたプログラミングを見受けますが、
それはそれで良い試みだと思うのですが、
それでは結局、クラシックを分かってもらうという意味で、種類の違う努力だと思うのです。

高いハードルがあって、それを超えてもらうために、
ハードルを下げるか、それとも、
高いハードルだということを分かってもらって、超えるお手伝いをするか。

私は、後者の方が自分には向いているのかなと、思っています。
超えたい方がいらしたら、いくらでもお手伝いしたいと思っていますし、
良い演奏を目指し続けなければと思います。
先日のシベリウスに、そのお手本を見せてもらった気がしました。

難しくっても、良いお仕事がしていたいなと、常々思います。これって、理想論なのかな。
posted by makiko-kudo at 21:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常
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