ハルビンの駅についたらものすごい人で、すでにげんなり。
中国東北地方の中心地で、人口は500万人くらいいるんだそうで、
大慶で感じていたのほほんとした空気はなく、殺伐とした空気に、ちょっと気が引き締まる思い。
車も大渋滞。クラクションが「俺が通るぜ道を開けろ、さもないと轢くぜ」という合図で、
なんだかモスクワを思い出したのでした笑。
まず行ったのが、ハルビンの中心部にある聖ソフィア大聖堂。
ハルビンという町は、1900年ごろにロシアとつなぐ鉄道が出来たことで、
たくさんのロシア人が流入し、その一環でロシア正教の聖堂が建てられました。
が、現在では中はハルビンの歴史の写真が飾ってある資料館のようになっていて、
祭壇などは撤去されており、中でケンタのチキンを手をベッタベタにして食べている子供がいて、
これロシアでやったら連れ出されてお説教だわ、とか思ったりしました。
写真の中には日本の文字もいくつか見受けられたりして、
実はうちの母方の祖父母が戦時中満州に住んでいたので、おじいが写っていたりしないかなぁとか思ったり。
うちの祖父は戦前、家庭内の問題でやさぐれて、身を立てるために家を飛び出て、
満州に渡り、状況を見て、中国語が出来ると使える、と踏んで中国語を勉強し、
戦時中は中国語の出来る農業指導員として現地にいたのだそうです。(このあたりはいろいろあり)
日本敗戦後も、中国語が出来たのでいち早く軍が撤退するという情報をつかむことが出来、
通訳として軍のトラックに乗せてもらい、無事帰国することが出来たのだそうです。
実は私、祖父が中国語が出来たということは全く知らず、
そもそも戦時中の話などは2人の祖父ともしたがらず、
今となっては人伝いにしか聞くことが出来ないのが本当に悔やまれますが、
これを機に中国で生まれた伯父(母の兄)に話を聞いて、
自分がミステリーハンターになりたいと思ったルーツが分かる気がしました。笑
今回のお仕事の話は、中国東北地方からのお話だったので、祖父に呼ばれたのかなと。
私が18の時に亡くなってしまったので、他3人より思い出すことが少なくてごめんね。
今回、がっつり思い出したから安心してね。笑
その後お昼で、主催者さんと通訳さんと、まじめな話を。
前日の公開レッスンの際、エリーゼのためにを持ってきた9歳の男の子がいたのですが、
いくつか音間違いをしていて、それを本人に確認させてたら、ひとつ楽譜にミスがあって。
それに気付かずに教えている先生がいるんだなぁと思ったので、
まずは先生の教育からなんじゃないの?という話をさせてもらいました。
私も、難しい曲とかだと気づかないこともありますが、
エリーゼのためにくらいは知っておいた方が良いような気がします。
また、中国では、プログラムなど、先生がこれをやりなさいと与えるそうです。
どうりで、レッスン中「なんでこの曲選んだの?」と言ってもきょとんとされたわけです。
んー、でも、このあたりは日本でも中国でも同じようなことが起きているかもしれません。
むしろ、日本の方が重症かもしれないなとか思ったり。
中国の方たちの方が、プライドがない分、意外とすんなりと変わるかもしれないです。
お昼のあと、川へ。松花江という川で、日本の川とは全然違う広さ。
ロシアを思い起こさせますが、なんで同じような地形で気候で、同じような文化が育たなかったのか、素朴な疑問。
この川のたもとには平日とは思えないほどたくさんの人がたむろしていて、
通訳さんいわく、ここでこうしておしゃべりをするのが現地の人たちの楽しみなんだそうです。
良く見て頂けると、川沿いのこの通りにはスターリン通りという名前が付いています。
ソ連時代の名残です。近くにはロシア語で書いてある看板もありました。
町中にも、ロシアのお土産屋さんがあったり、
ロシアのパンが売っていたり、
ロシア語でレストランの看板が書いてあったり、
ウォッカが売っていたり笑
このあたり、なまりのない中国語が話されるということで、中国語を学びに来るロシア人が多いのだそうです。
ただ、こうして遺産としては残っているものの、文化的には日常にほぼロシア臭は無いのだそうで。
実はハルビンという町、私の大好きなロシア人ピアニストの出身地でもあり、
彼の生まれ故郷に行けるということでひそかに楽しみにしていたのですが、
それっぽい匂いは全くしませんでした。
残念だなと思ったり、ハルビンのたどった歴史を考えれば当然かなと思ったり。
ちょっと書くの疲れたので、続きはまた後日。
とりあえずここまでアップします!