工藤真希子 Official Website

2016年05月28日

【告知】第2回マイスキーヴェーチェル《ショスタコーヴィチに捧げる》

再来週、6月11日(土)14:00〜、ヤマハ銀座ビル6階コンサートサロンで、
《ショスタコーヴィチに捧げる−生誕110年を讃えて》と題した演奏会に、
ゲスト、というか、代役として出演します!
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コンセプトはソヴィエト音楽ということで、
桐朋でロシア歌曲の発音法について教えている渡部智也さんによる、
ショスタコーヴィチやスヴィリードフの歌曲、
そしてロシア留学時代の大先輩、吉永哲道さんと私の2台ピアノで、
ショスタコーヴィチのコンチェルティーノ、
そしてアルチュニャン・ババジャニャンのアルメニアンラプソディを演奏します。

ショスタコーヴィチも好きなのですが、
何よりアルメニアの作曲家、アルチュニャン・ババジャニャンを演奏できるのが今から楽しみ過ぎて。
私のモスクワ音楽院時代の恩師がアルメニア人だったのもあるのですが、
それ以上に、弾いていると血が騒ぐというのでしょうか、心が開いていく感じがして。
もしかして前世がアルメニア人だったとかなんでしょうか。笑

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そして私のソロは、ショスタコーヴィチのプレリュードとフーガから1番、
シチェドリンのアルベニス風に、そしてハチャトゥリャンのトッカータを演奏します。
ショスタコーヴィチ生誕110年を讃えるコンサートなのですが、
ショスタコーヴィチに一番苦戦しています。
とても好きな作品なのに、いざ人前で弾くとなると、
フーガの暗譜って、どうやってすればいいんでしたっけ。という感じ。笑
 
プログラムは少しどころかかなりマニアックですが、
ここまで媚びないプログラムを真っ直ぐぶつけることが出来るなんてほとんどないので、
密かにとてもわくわくしています。絶対に楽しいと思うんです!
土曜の昼間の銀座、お時間ありましたら歩行者天国をお散歩がてら、ぜひいらして下さいね!
posted by makiko-kudo at 22:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 告知

2016年05月27日

ぎりぎりじゃない男

前回の続き。

リュビーモフ2日目。
この日は東京ニューシティ管弦楽団とのコンチェルトでした。
ハイドンのピアノコンチェルトと、ストラヴィンスキーのピアノと管楽器のためのコンチェルト。
前半最後にハイドン、後半最初にストラヴィンスキーでした。

ニューシティ管の演奏会は、おそらくオケのサポーターの方たちが大半を占めていて、
前回のリサイタルのようにリュビーモフファンが大勢いた感じはしなかったのですが、
それでもハイドンが終わった後、鳴りやまぬ拍手。なんだかうれしかった笑。
本当、音のキレといい、その疾走感といい、凄かった。素晴らしかった。

リュビーモフは絶対に守りになんて入らないのです。
でも攻めてる感じもあまりしないというか。
そのテンポで弾くべきだから弾く、の、そのテンポ、が、ものすごく速い。
でもリュビーモフ自身が無理していないテンポなので、とっても安心して聴ける。
装飾音や繰り返し後の変奏など、リュビーモフ式の盛りだくさんだったのですが、
それも無理して入れている感じが全然なくて、自然に入っているので、
もうなんだか、すごいマジックを見せられた気分。演奏を聴きながらついにやにやしちゃう私。笑

後半のストラヴィンスキーは、生きているうちにリュビーモフの演奏で聴けるなんて、と、
鼻息荒い感じで休憩時間が終わるのを待っていたわけですが笑、
すんごい良かった。何より、オケがよく頑張った!よくリュビーモフに付いていった!
当然ながら、リュビーモフが連れて来たという若手指揮者がいたわけですが、
あれは指揮を見て指示を待ってたら落ちる曲。
管&コントラバスの皆さんに本当によくがんばったで賞を差し上げたくなるような気分でした。

そして、リュビーモフ。本当に72歳か?ともう一度確認したくなるような、若々しい音。
年を重ねて円熟味を増した音、なんてどこ吹く風。
スピード感とか、まったく落ちない。テクニックもばっちり、外さない。
本当に、彼の頭の中がどうなっているのか、見てみたい。

でも、リュビーモフの凄いところは、テクニックがばっちりなのに、
テクニックがばっちりなことは彼の中で当然なので、
お客さんは、凄いテクニックだったね、ではなく、良い曲だったねーってなるのです。
作り込んでいるはずなのに、練習しているはずなのに、全然その裏の努力を感じさせない。
こんなに裏にある努力をつゆとも感じさせないピアニスト、正直初めて見ました。

あと、彼の演奏を聴いていると、
ピアノは「弾く」んじゃなくて「鳴らす」ものなんだなとあらためて思いました。
強い音も、けっこうバンっと出してるはずなのに、いやな感じが全然しない。
変に力まず、そして何の意図も、てらいも無く、
音が出る瞬間だけ、力がピアノに伝わる、というのかな、そういう感じ。

最近、だけでもないのですが、私自身、妙に思考が歳を取ってしまって、
歳をとった先で見えるものを見たい、とか思っていたのですが、
いやいや、違うなと。
その曲にとってどんな年齢の音が必要か。そこまでコントロールして一流だな、と。

歳を取ったら歳を取ったなりの演奏しか出来なくなるのが人間の常なのかも知れませんが、
リュビーモフを見てたら、歳を取ろうが取るまいが、
その曲に合った音が出せるのが一番強いんじゃないかなと思いました。

本当、習いに行きたい。笑
素晴らしいコンサートでした。
posted by makiko-kudo at 09:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常

2016年05月25日

ぎりぎりな男

またムソルグスキーの話ではないのですが、もう少しだけお待ち下さいね。
感動冷めやらぬうちに、コンサートレビュー。

先日、アレクセイ・リュビーモフの演奏会に行って来ました。
リュビーモフは、モスクワ音楽院で古楽と現代音楽を教えているエキスパートで、
モスクワに留学していた時から大好きなピアニストのうちの1人。
御歳72歳、まさか日本で聴けるとは思わなかったので、本当に浮き足立って出かけてきました。

1日目はリサイタル。
前半はC.Ph.E.バッハのファンタジー(fis-moll)、
ペルトのパルティータ第2番、アリーナのために、
シルヴェストロフのソナタ第2番、
ドビュッシーのプレリュードから雪の上の足跡とミンストレル、そして喜びの島。

後半は、モーツァルトのソナタK.311に、
当日曲目変更で、シューベルトの楽興の時から、op.90-2,3,4。

前半はリュビーモフの本当に好きな近現代ものを持ってきたという感じで、
個人的にはアルヴォ・ペルトの2曲が良かったです。
特に「アリーナのために」は、3分くらいの短い曲なのですが、
リュビーモフのピアノの鳴らし方が本当に良かった。
もっともっと聴いていたいと思わせられる、波長がじわじわと広がっていく、静けさ。

それから、ドビュッシーは、プレリュード全曲をモスクワで聴いていたので、
素晴らしいことは分かっていたのですが、やっぱり良かった。
なんというか、道化というよりはとてもスマートに相手を驚かせてにっこりするミンストレル。
鮮やかに、次から次へとくるくる変わるマジックを見せられているようでした。

そして喜びの島。これ、ドビュッシーがW不倫旅行をした頃に描かれた曲なので、
非常にエロティックな内容(だと個人的に思います)なのですが、
リュビーモフみたいなタイプがどう弾くのかなと密かに期待しておりましたら笑、
もうあと少しで溺れてしまいそうなエロティックぎりぎり、という感じでとても良かったです。

後半もとても良かったですが、個人的にはやっぱりペルトとドビュッシーがお気に入りでした。

そしてアンコール。モーツァルトのファンタジー(d-moll)のあと、
ショパンの舟歌を持ってきたのにちょっとびっくり。
実は、モスクワで彼のブラームスの1番のピアノコンチェルトを聴いたのですが、
この人はロマン派があんまり合わないんだなと思ったのです笑。
ロシア人にしては小柄で細身だし、もう少し重い音が良いなと。

個人的には、作曲家や音楽家が音楽で何をするかというと、情景描写と、感情描写とあって、
私は感情描写の曲の方が得意なタイプ。
音に感情がこもってしまうので、あまり情景描写は得意ではないです。
リュビーモフは、ドビュッシーのプレリュードが恐ろしく良かったので、
この人はロマン派的な感情描写よりも、情景描写の方が得意なタイプなんだろうなと思っていたのですが、
ショパンの舟歌は、情景描写と言えばそうなので、なんだか良かったです。
でもピアニストの性なのか、最後のコーダで音をずばずば当ててくるところになんだか感動してしまって笑。
この感動の仕方は違うよなーとか思いつつ、最後のアンコール。

最後の曲、スクリャービンのポエムop.32-1。これが、素晴らしかったです。
スクリャービンはop.30以降はそれまでの調性からだんだん外れていくのですが、
その「外れていくがゆえの美しさ」を余すところなく伝えたこの作品。
でもメロディにはまだちらっと調性が残っていて、聴きやすい素敵な曲。
この曲に対するアプローチとしては、ずぶずぶに溺れて演奏するか、溺れずに楽しむか、どちらかだと思うのですが、リュビーモフは溺れずに楽しむ方を選んでいて、またその感じがお洒落で…堪らなかったです。

リュビーモフのピアノの凄いところは、迷いがないところ。
当然のように弾きこなしていくのももちろんそうだし、
何より、音楽があるべき姿であるべき時にちゃんと表れているのが凄いところ。
でもその「あるべき」が、手の重みとか、そういう自然なものを根拠に考えられているので、
「作られた」感じはしないのです。

この、「作られた」感じがしない音楽が、私は好きで、
まるで今、音楽が生まれ出たかのように演奏したいと思っているのですが、
でも、私自身が「頭の良さそうな演奏」と言われることも多く、
実は自分では、そんなに考え込んで作り込んでる感じはないのですが、
それってつまり、おもしろくない演奏ってことなんじゃないかと、実は悩んでいたりしていたのです。

でも、頭の良い演奏と、自然な演奏は、同居することが可能なんだと、
リュビーモフの演奏を聴いていて思いました。

例えばモーツァルトとかハイドンなんかだと、リュビーモフはどんどん装飾音を足していく。
でもそれが、リュビーモフが意図して弾いている感じがしなかった。
まるでその場で思いついて入れてみたような雰囲気。

でもリュビーモフのことだから、「正しい」トリルの入れ方とか、装飾の足し方とか、
そう言うのが全部頭の中に入っていて、その引き出しから今日はこれーって出す感覚なのでは、と。

彼はちょうど私の年齢の倍なのですが、折り返してあと36年、
こんなに若々しく演奏し続けられるかなとか考えてしまいました。

2日目のコンチェルトの模様もお伝えしたかったのですが、長くなったのでこの辺で。
続きはまた、明日とか。
posted by makiko-kudo at 17:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 非日常
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