工藤真希子 Official Website

2016年04月27日

ロシアマニアのきっかけ

昨日は、ディーナ・ヨッフェのリサイタルに行って来ました。

実はヨッフェ先生には、10年ほど前に地元の音大での講習会でレッスンを受けたことがあって、
その時初めて、ロシアに留学したいと思ったので、
今の私になるきっかけを作ってくれた先生です。

当時、講習会でヨッフェ先生のレッスンを受けていたら、
今もお世話になっている、当時その地元の音大で教えていらしたセメツキー先生が入って来て、
ベートーヴェンのヴァルトシュタインソナタの最初のところ、
連打の練習の仕方をあーでもないこーでもないとお2人で考えて下さって、
私はその場にいながら完全に置いて行かれたのを思い出しました。笑

でもそれを見ていて、この人たちの持っている、ピアノから音を出す時の感覚が、
今まで私が思っていたそれとは全然違うんだということを感じ、
そこから少しずつ、自分の音の出し方が変わっていった、と思います。


今回のプログラムは、スクリャービンとショパンのプレリュード。
スクリャービンはop.11全曲、ショパンはop.28。

当然ながら、スクリャービンを前半、ショパンを後半に弾くと思っていて、
スクリャービンのプレリュードの1番弾いて、次は2番かなーと思っていたら。
なんとショパンのプレリュードの1番が来ました。

次はスクリャービンの2番、そしてショパンの2番、と、
スクリャービンとショパンを交互に弾いていくスタイル。
これには、完全に、度肝を抜かれました。笑

こういう演奏方法を思いつくっていうのは、
たぶんヨッフェ先生の中では、スクリャービンとショパンが、
私が思うよりももっと、近しい作曲家だからなのではないかな、と思います。

そして、最近、ロシアのものばっかり聴いたり弾いたり勉強したりだったのですが、
ロシアって日本と違って、いろんな国と国境を接していて、
いろんな文化が混じり混ざって今があるのだということに気づかされました。
狭く深く、って私の得意技ではあるのですが笑、
他を見て初めて自分が分かる、っていうのもあるし、
もっと視野を広く持っていないとな、と、あらためて。

あと、私が好きだと思うピアニストって、
音楽がどうあって欲しいかまず考え、
そのためにどの声部が前に出るべきで、どの声部が後ろにいるだけでいいのか、
きっぱり決めることが出来るタイプが多い気がします。
で、その後、そうするためにどう弾いたらいいのか、考えていくというか。

ヨッフェ先生は理論派というより、どちらかというと感覚でピアノを弾くタイプだと思うのですが、
そういうところ、天性のバランス感覚があると思います。
しかもそれは平衡に保つ方のバランス感覚ではなく、
綱渡りでわざと落ちそうなところまでバランスを崩して、それでも落ちないのを楽しむ、というか。
攻めるところは攻めて、けっこうやばいところまで攻めて笑、
でもその後ちゃんと引いて収めてくれるので、なんだか納得しちゃう。

ヨッフェ先生の音楽は、昔と変わらずはつらつとしてて、
生きる喜びに満ちていて、暖かくて、とってもまぶしかった。
彼女に今習っている、モスクワ時代の後輩とコンサート後に少しお話ししたり、
ヨッフェ先生の日本でのレッスンの通訳をした友人にその様子を聞いたりすると、
その人のする音楽は、その人の人柄そのままを表すんだなぁ、といつもながらあらためて思います。

久々に、良い演奏会だったなぁと思えたひと時でした。
そしていろいろ言いましたが次に行く予定なのもロシア人の演奏会です笑。
次はさらにマニアックなピアニスト!こちらはがっつり理論派ですが笑。楽しみです!
posted by makiko-kudo at 13:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 非日常

2016年04月24日

ボロディンから脱線

先日、カウンセラーさん的な友人とお話していて、
仕事、増えないんだよ、どーしたらいいんだろうね?って訊いたら、
どの分野を、一番増やしたい?って言われて、
無意識に「え、ロシア音楽史を教える仕事」と即答した自分がいて、
かなりびっくりしました笑。そうだったのか、私。

いろんなことを経て、私の人生はなんだか思いもよらぬ方向に舵を切り始めているようです。

さて、明日の講義のために、ボロディンの勉強をしています。
ボロディンと言えば「ポロヴェッツ人の踊り」の入っているオペラ《イーゴリ公》を書いた人。
ただ彼は、作曲家としてよりも、本職の化学者・医者としての方が実は功績を残していて、
大学の研究室に住んで教授・主任などを歴任し、病気がちの奥さんの看病や家事をこなし、
仕えるだけではなくて行動力もあって、医科大学合唱団やオーケストラを作ったり、
さらに言えばロシアにおいて女性が医学の高等課程で勉強できるようになったのは彼のおかげだったり。
どんだけ良い人なんだこの人は、な小噺が尽きないタイプの人。

なんというか、この人、作曲がかなり出来るタイプの医者(化学者)だと思っておけばいいような。
医学部の教授がチェロ弾いて、シンフォニーやらオペラやら書いちゃうんですから。
たぶん昨今流行り(?)の、医者とか先生とかがピアノリサイタル開いちゃうのとは、
全然レベルが違うと思うんですよね。ボロディン、すごい人。
こういうことが起こることが、この時代のロシアのおもしろいところでもありますが。

ボロディンが産まれた1800年代当初、身分制度の厳しかったロシアにおいて、音楽家という職業はまだなく、
音楽をやりたかった場合、貴族として生まれて音楽を「趣味として」「片手間に」勉強するか、
もしくは農奴(奴隷ね)として主人である貴族に音楽で奉仕するか、それしか選択肢がなかったので、
グルジアの貴族の私生児として生まれたボロディンの行く末を心配した養父(医師)と実母が、
音楽はまたやればいいから、医学部に進んどきなさい、ってさせたのも分かる気はするのです。


九州での地震があって、私は相変わらず、自分の役に立たなさを実感しています。
音楽家って、本当に、災害の時役に立たないですね。
医師免許とかそういう直接的に人助けに関係する資格とか持ってたら、良かったのに。

九州って全然縁がなくて、行ってみたいなーと思う土地、だったのが、
気が付けば大学の同期が熊本に住んでいたり、友達の彼氏がそういえば九州の人だったり、
その他諸々、意外と縁が全くないわけでもない土地になっていたことに驚いたりしています。

東北の大震災の時も、私はロシアにいて、
自分が昔住んでいた場所に対して本当に何も出来ないんだということを痛感して、
で、とりあえずお金を集めようと思って、チャリティーコンサートなんて企画したりして。
いまだに、あれは自己満足だったんじゃないだろうかと、自分に問いかけたりしています。

今回は日本にいて、でも結局何の役にも立てないピアニストとかいう仕事をして、
いったい私はなんのために生きているんだろう、と、意味もないことに思いをはせてしまったりしています。

が、物思いに耽ることが出来るというのは、当事者じゃない証拠だと思うのです。
自分に何も起きていないから、考えたり、思い出したりできる、というのかな。
本当に自分や自分の家族に何か起きていたら、耽ってる暇なんてないですよね。

でもだからこそ、今私にできることは、生かされている以上、ちゃんと最後まで生きる。しかない。
生きると決めたなら、震源地に医療関係者や自衛隊がちゃんと行けるように、
自分はここで、健康に働く。お金を稼ぐ。出来れば募金する。
私に出来ることをするしかない、と思います。

そして、日本にいる以上、明日は我が身。自分も気を付ける。

そのうち、転職する覚悟が出来たら、というか、音楽に諦めがついたら、転職すればいい。

…って、ボロディンの話から脱線しすぎたな。
とりあえず最後に、ボロディンの弦楽四重奏曲第2番の動画でも貼っておきます。笑

この曲は、ピアニストだった奥さんに愛を告白して20周年を記念して描かれた曲で、
全楽章、ほわっとした暖かみに満ちた素晴らしい作品なのですが、
やっぱり白眉は3楽章(12:39〜)でしょうか。奥さんの事、愛しくってしょうがない感じがだだ漏れ。笑
ちょっと重たい話をしたので、聴いて癒されて下さい。笑
posted by makiko-kudo at 22:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常

2016年04月12日

つまようじ

さて、新年度です。
ロシア音楽史の講義、始まってます。

今年はありがたいことにたくさんの学生さんが集まってくれました。
去年は去年で人数が少なめで、良い意味で落ち着いて講義が出来たと思っていたのですが、
演奏家気質というのでしょうか、人が多ければ多いでそれはそれでテンションが上がるという笑。
とはいえ、月曜1限(8時40分スタート)というハードルがあるので、
徐々に受講生の数が減ってくるとは思うのですが。

今年は例年15回あった講義が14回に減ってしまうので、
毎年最初にお話していたロシアの歴史のところを省いて、
いきなりグリンカのお話に入ったのですが、
講義後に学生さんからロシアの歴史の話が聞きたかったと言われ。
あああーごめんね。私的には話したかったんだけど、
毎年微妙に皆のテンションが低かった(気がした)から省いちゃったけど、
中には楽しみにしてくれてた学生さんもいたんだなぁと、密かに嬉しかった。

ロシア音楽ほどロシアの歴史と密接に関連した音楽はないと(勝手に)思っているので、
これから先、講義の中でたくさんお話しすることになると思います。
楽しみにしててね。

さて、グリンカと言えば、ルスランとリュドミラ序曲。
グリンカを知らなくてもこの曲は知ってるでしょ、と講義の最初にかけてみました。
結果、私のテンションが上がりました。笑

これと序曲1812年はテンション上げるのにとても良いです。
しかしゲルギエフー、早いぜー。
だいたい5分くらいの曲を4分半で演奏してる。怖いなー。笑

そしてゲルギエフはつまようじを持って指揮してます。
これ、怒ったら飛ばしたりするのかなぁ(想像ですよ)笑

ただ、早すぎて、何言ってるのか分からないところもあって。
ゲルギエフはいつも早くて、ボロディンのポロヴェッツ人の踊りとか、
その熱狂ぶりが良かったりするんだけど、
この曲に関しては、もうほんのちょっと、滑舌が良くてもいい気がするんだな。
でも5分超えたら軒並みつまらなくなるので笑、不思議な曲。
私が講義でかけているジーヴァ指揮モスクワ交響楽団の録音は4分57秒でした。感覚で選んでいる割に正確。笑
ボロディンは音楽的にもその我を忘れた感じがぴったりだったりするんだけど、
グリンカはこれから長大なファンタジーが始まるわけだから、冷静さも欲しいな。とか、えらそうにー。笑
とか言ったんだけど、他の録音をいろいろ聴いてみたら、早いのは崩壊寸前で、遅いのは私的に論外で笑、
この動画、奇跡的にまとまっているということが分かりました。すみませんゲルギエフ様!笑


こっちは同じくゲルギエフ×マリインスキー劇場オケの別録音。
アンコールだけあって時折だれてるんだけども笑、でもたった5秒長いだけでこの安定感。
でも綱渡り的な、スリリングでわくわくする感じは少ないかも。
いや、でも、最後の金管の全音音階の出方、好きだなぁ。とか。
皆様もどっちが好みか、聴き比べてみて下さいね。

講義も同じで、伝えたいことが多すぎて早口になると、逆に伝わらなかったりします。
そして口より思いが先走ると舌が回らなくなるという笑。
いい具合に、伝えたいことはちゃんと伝わるように。
肩の力を抜いて今年ものびのび頑張っていこうと思います。

脱線はほどほどに。でも脱線話の方が、ウケるんだよなぁ。笑
posted by makiko-kudo at 22:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常
ht