実は留学して一番良かったと思うことは、ロシア語が分かるようになったことです。
いやもちろんピアノを習いに行ったんですけど。笑
でも、歌に疎かった私が(いまだにロシアもの以外には疎い)、ロシアオペラや歌曲の良さを人に伝えたいと思うようになったのは、言葉が分かるようになったおかげかなと。
そしてピアノを弾くうえでも、言葉によるイントネーションから音楽の流れを見つけられることもあって。
ドイツもの、フランスもの、スペインもの、ロシアもの、と、
それぞれの作曲家の使っていた言葉の特徴から、その弾き分け方を考えてみたりすることも、出来るかもしれませんね。まだ推測。なんとなく。笑
ということで、ラフマニノフの歌曲について、続編。
まずは、前回、「夢」という単語について少し書きましたが、
今回はМечта(メチター)ではなくてСон(ソン)の方を題材にした歌曲。
Сон(ソン)は、睡眠というのが一番の意味で、
そこから睡眠時に見る夢のことも言います。
op.8-5の「夢」では、ハイネのドイツ語詩をロシアの詩人プレシェーエフが、
ロシア語に大胆に超意訳した詩が使われています。
故郷を離れ、ある日見た夢に、故郷の風景、そして家族知人たちが出てくるのですが、
はっと気づくとそれは夢だった、という内容。
ハイネの原詩は、祖国!ドイツ!という、愛国心がもっと強く押し出されている感じなのですが、
ロシア語になって、国、というより、ふるさと愛、家族愛がフォーカスされる結果となり、
そしてラフマニノフの音楽も甘く切ない感じで、こうなんとも良い感じ。
「でもそれは夢だった」という歌詞の前の小休止も味わい深い。待てる伴奏者になりたい。笑
そしてラフマニノフは、最後の歌曲集op.38の5曲目でも「Сон」(ソン)という別の詩に曲を付けています。
この詩は、ロシア象徴主義の詩人・作家ソログープのもので、
この詩を見てみると、夢というか眠るということについて書いているような感じ。
あのうつらうつらとした感じをそのまま詩にしたような。
「それは夜半の霧のように軽く大きな2枚の翼を持ち、そしてどうやって、何のためにどこへ行くかも知らず、それは羽ばたきも肩を震わせもしない」
…なんやら難しいですけど。でも映像として何となく浮かぶ、その感じでこの曲を聞くと、
それはそれはけだるい気分になります。笑
このop.8からop.38への変化の仕方。まるで脱皮したみたい。
ラフマニノフはロマン派から抜け出せなかったなんて言われたりしますが、
こうして比べて聴くとずいぶんイメージ変わりませんか?
だいたいヴォカリーズだって、メロディだけ追ったらロマンティックに聞こえるけど、
ピアノパートの和音の積み方はかなりアヴァンギャルドだと思うんですが。どうでしょうピアノの人たち。笑
と、時代を戻しましてもうひとつ。「私はきみを待っている」op.14-1。
これが前回入れられなくて続編を作ろうと思った曲でもあります。
ヴィシネフスカヤの演奏で。実は私は彼女と誕生日が一緒なので勝手に親近感。笑
彼女は世界的なチェリスト、ロストロポーヴィチの奥様でもあり、この動画には書いていないんですが、
おそらくこの伴奏もロストロポーヴィチがしていると思います。当然ピアノ伴奏ですよ。笑
この詩では、とにかく夜も昼もあなたを待っちゃってて、
なかなか過ぎない時間にじりじりしたりうっとりしたり。恋だなぁ。
この詩を書いたのが女性だということもあり、非常に女子力爆発な歌なので(なんだそれ)、これは女声を選んでみました。
…これまだ第3弾も行けるなぁ。笑
まぁこうしてテーマを選んで書くというのは自分の勉強のためでもあるので、
一生懸命おべんきょうしたいとおもいます。笑
そして私はムソルグスキーの歌曲がとても好きなので、そちらはそのうち絶対書きます。宣言。笑
2014年09月20日
うつらうつら
posted by makiko-kudo at 16:16| Comment(0)
| 日常
2014年09月16日
そしてきみ、私の夢
昨日ロシア音楽史の後期講義が始まり、ラフマニノフのお話をしているので、
いろーんなラフマニノフが毎日頭の中を流れています。
これのメランコリックな気持がスクリャービンでぶっとんで、ストラヴィンスキーではじけるという流れ。笑
ラフマニノフの中でも特に、現在の脳内再生第1位は、歌曲です。
ラフマニノフの歌曲は、日本ではあまり知られていませんし、
言葉の壁もあり、あまり歌われないのが本当に本当に本当に残念でならないです。
言葉の壁のない「ヴォカリーズ」は良く歌われているのでご存知の方も多いかと思いますが、
あの密な世界が山ほどあると思って頂いて構わないくらい、素晴らしい曲ばかりなのです。
ピアニストとしても誰か歌ってくれたら弾きたい曲はたくさんあるし、
それより私が歌が上手かったらもう真っ先に歌いたい。本当に悔しい。笑
ラフマニノフの歌曲を聞くと、
彼の表現したかった音楽の世界の根っこはここにあるんじゃないかといつも思います。
彼はもちろんピアノのソロ曲をたくさん書いて、ピアニストでもあったけれども、
同じく歌曲も人生のあらゆる時期にわたって書いていて。
例えピアノソロ曲であっても彼の頭の中では歌曲のイメージがあって、
ピアノ1台と腕2本、指10本でこの世界を再現する必要があるんじゃないかなぁと思うのです。
もちろんソロ曲にも、オーケストラを想像させるもの、鐘の音を想像させるもの、いろいろあるんですが。
あと、何が良いってね、ピアノ伴奏が良いんですよ。そしてとっても難しいです。笑
最後に紹介する「春の流れ」なんかは、弾いたんですが、もう赤面するくらい難しかった。笑
ということで動画貼ります!
まずはラフマニノフの初期の作品、op.4-4「歌わないでくれ、美しい人よ」。
歌詞の内容は、美しい人の歌う悲しいグルジアの歌を聴き、
異国での生活とその景色、そして存在したかもしれない違う人生に思いをはせる、というもの。切ない!
そしてこの前奏と後奏の長さったら。ラフマニノフったら。笑
でもこれ、op.4なんですよ。まだ20歳くらいの時の作品。
ラフマニノフのすごいところは、年を経て和声感が複雑になったり、アメリカ文化に影響されたりするんですが、
若い頃からずっとラフマニノフの作品、という本質が変わらないことかなぁと。
次。「ここは素晴らしい」op.21-7。
これは詩も良いんですよー。
「ここは素晴らしい、見てごらん
燃えるように輝く川と
草花のじゅうたん、白い雲
ここは誰もいない、ここは静かで
ここには神様と私だけ
花と老いた松の木
…そしてきみ、私の夢」
最後の「そしてきみ、私の夢」ってところはちょっともう落ち着いて聴けないです。笑
「きみ」という言葉を指すты(ティ)から「夢」(мечта:メチター)の和音進行が…もう…泣ける。
ロシア語では、寝ている時に見る夢を指すソン(сон)と言う単語もあり、
ここで言うメチターは、憧れとか空想とか、そういう「夢」に使う単語なのです。
しかもその後の後奏が良いのよねー。いいのよねー。
多分ばれてると思いますが、とても好きなんです。この曲。
ちなみに言うと、この曲、奥さんのナターシャに献呈してるんです。
しかも、Nに捧ぐ、って書いてあるんです。そういうのもなんだかとても好きで。笑
そして最後は華々しく。「春の流れ」op.14-11。動画はオブラスツォーヴァの男前な歌で。笑
前に、ロシアの春はある日突然来るイメージと書きましたが、
この曲はそれにぴったり。
チュッチェフという詩人の詩なのですが、彼は自然を擬人化して表現するのがとても上手で、
この曲の詩では、春の雪解け水が、春の訪れを告げる使者として登場します。
「春が来ますよ」(Весна идёт)は、ヴェスナー イジョートと歌っていますが、
春が来ますよ、春が来ますよー!という第一報のところの清々とした拡がり。
その後にもう一度、春が来ますよ…とかみしめる感じ。もー、ラフマニノフ、天才。
…て書いてたら、あれも良いしこれも良いしといろいろまた思い出しました。
そのうち第2弾を書こうそうしよう。私のブログだもの好きなこと好きなだけ書いちゃうんだ。笑
いろーんなラフマニノフが毎日頭の中を流れています。
これのメランコリックな気持がスクリャービンでぶっとんで、ストラヴィンスキーではじけるという流れ。笑
ラフマニノフの中でも特に、現在の脳内再生第1位は、歌曲です。
ラフマニノフの歌曲は、日本ではあまり知られていませんし、
言葉の壁もあり、あまり歌われないのが本当に本当に本当に残念でならないです。
言葉の壁のない「ヴォカリーズ」は良く歌われているのでご存知の方も多いかと思いますが、
あの密な世界が山ほどあると思って頂いて構わないくらい、素晴らしい曲ばかりなのです。
ピアニストとしても誰か歌ってくれたら弾きたい曲はたくさんあるし、
それより私が歌が上手かったらもう真っ先に歌いたい。本当に悔しい。笑
ラフマニノフの歌曲を聞くと、
彼の表現したかった音楽の世界の根っこはここにあるんじゃないかといつも思います。
彼はもちろんピアノのソロ曲をたくさん書いて、ピアニストでもあったけれども、
同じく歌曲も人生のあらゆる時期にわたって書いていて。
例えピアノソロ曲であっても彼の頭の中では歌曲のイメージがあって、
ピアノ1台と腕2本、指10本でこの世界を再現する必要があるんじゃないかなぁと思うのです。
もちろんソロ曲にも、オーケストラを想像させるもの、鐘の音を想像させるもの、いろいろあるんですが。
あと、何が良いってね、ピアノ伴奏が良いんですよ。そしてとっても難しいです。笑
最後に紹介する「春の流れ」なんかは、弾いたんですが、もう赤面するくらい難しかった。笑
ということで動画貼ります!
まずはラフマニノフの初期の作品、op.4-4「歌わないでくれ、美しい人よ」。
歌詞の内容は、美しい人の歌う悲しいグルジアの歌を聴き、
異国での生活とその景色、そして存在したかもしれない違う人生に思いをはせる、というもの。切ない!
そしてこの前奏と後奏の長さったら。ラフマニノフったら。笑
でもこれ、op.4なんですよ。まだ20歳くらいの時の作品。
ラフマニノフのすごいところは、年を経て和声感が複雑になったり、アメリカ文化に影響されたりするんですが、
若い頃からずっとラフマニノフの作品、という本質が変わらないことかなぁと。
次。「ここは素晴らしい」op.21-7。
これは詩も良いんですよー。
「ここは素晴らしい、見てごらん
燃えるように輝く川と
草花のじゅうたん、白い雲
ここは誰もいない、ここは静かで
ここには神様と私だけ
花と老いた松の木
…そしてきみ、私の夢」
最後の「そしてきみ、私の夢」ってところはちょっともう落ち着いて聴けないです。笑
「きみ」という言葉を指すты(ティ)から「夢」(мечта:メチター)の和音進行が…もう…泣ける。
ロシア語では、寝ている時に見る夢を指すソン(сон)と言う単語もあり、
ここで言うメチターは、憧れとか空想とか、そういう「夢」に使う単語なのです。
しかもその後の後奏が良いのよねー。いいのよねー。
多分ばれてると思いますが、とても好きなんです。この曲。
ちなみに言うと、この曲、奥さんのナターシャに献呈してるんです。
しかも、Nに捧ぐ、って書いてあるんです。そういうのもなんだかとても好きで。笑
そして最後は華々しく。「春の流れ」op.14-11。動画はオブラスツォーヴァの男前な歌で。笑
前に、ロシアの春はある日突然来るイメージと書きましたが、
この曲はそれにぴったり。
チュッチェフという詩人の詩なのですが、彼は自然を擬人化して表現するのがとても上手で、
この曲の詩では、春の雪解け水が、春の訪れを告げる使者として登場します。
「春が来ますよ」(Весна идёт)は、ヴェスナー イジョートと歌っていますが、
春が来ますよ、春が来ますよー!という第一報のところの清々とした拡がり。
その後にもう一度、春が来ますよ…とかみしめる感じ。もー、ラフマニノフ、天才。
…て書いてたら、あれも良いしこれも良いしといろいろまた思い出しました。
そのうち第2弾を書こうそうしよう。私のブログだもの好きなこと好きなだけ書いちゃうんだ。笑
posted by makiko-kudo at 22:17| Comment(0)
| 日常
2014年09月10日
こばとちゃん
来週からロシア音楽史の後期講義です。
ラフマニノフ・スクリャービン・ストラヴィンスキー・メトネル・プロコフィエフ・ショスタコーヴィチ・その他ソ連現代の作曲家、と続くので気が抜けない日々が始まります。
ということで、今のうちに、前に先延ばしにしたチャイコフスキーのお話を忘れないうちに書こうと。笑
前回モスクワに行ったときに買ったチャイコフスキーの書簡集ををぱらぱらと見ていて気づいたのですが。
手紙というのはたいてい「親愛なる○○様」みたいな書き出しで始まりますが、
チャイコフスキーが相手によってそれをちょっと書き分けているのです。
ロシア語では、ドイツ語などのヨーロッパ言語と同じく、
相手を呼ぶときに「あなた」と「きみ」の2種類の呼び方があるのと、
「父称」という、お父さんの名前から作るミドルネーム的なものがあって、
父親の名前に、男性の場合ヴィチ、女性の場合はヴナを付けると父称になり、
先生とか目上の人は名前+父称で呼ぶと敬称になったり、
仲良しだったり年下だったりすると、名前を簡略化した愛称で呼んだり、という3つを組み合わせると、
だいたい何となく関係性が推測出来たりするのです。
例えば、ラフマニノフの場合、セルゲイが名前、ラフマニノフが名字、
お父さんがヴァシリーだったので、父称はヴァシリーにヴィチを付けて、ヴァシリエヴィチ。
ラフマニノフ先生!と呼ぶときは、セルゲイ・ヴァシリエヴィチと呼びます。
お友達なんかは、セルゲイの愛称、セリョージャと呼んだり。
で、チャイコフスキーの話に戻すと。
書簡集でまず多いのが、家族へのお手紙。
お父さんとお母さんのこと、愛するパパーシャとママーシャ!と書いてます。
日本語だと、おとーちゃんおかーちゃん♡みたいな感じか。笑
妹弟には、愛称+「きみ」。
同時代の作曲家、バラキレフやリムスキー=コルサコフにはちゃんと敬称で。
ミリー・アレクセーヴィチ、と、ニコライ・アンドレーヴィチ。で、「あなた」。
ちょっと面白いのが、弟子だったタネーエフに対して。
最初は名前のセルゲイの愛称、セリョージャ+「あなた」で呼びかけたりしていたのが、
しばらくしてセルゲイ・イヴァーノヴィチと父称付き+「あなた」で呼ぶようになり、
20年経ったらセルゲイ・イヴァーノヴィチ+「きみ」になるという。笑
私は、ロシア語の先生からもピアノの先生からも「あなた」で呼ばれていたので、
「先生なんで私に『きみ』を使わないんですか?」と訊いたところ、
「子供のころから知ってるならまだしも、大学院生に『きみ』とか使えないじゃない」と言っていて。
でも「きみ」で呼ばれている留学生仲間の方が多かったので、
これは呼ぶ人の感覚的なところに寄るところが多いらしい。
チャイコフスキーとタネーエフの話の時に自分の話を例えに出すのはどうかと思うけど。
でもチャイコフスキーとタネーエフは、お互いの作品に意見し合うような、
師弟関係を超えた作曲家仲間でもあったので、
チャイコフスキーがタネーエフをどう見ていたかも透けて見えるかなーと。
あとタネーエフが超まじめな人だったので、からかってるつもりとかもあるのかなとか。笑
さらに興味深いのが、フォン・メック夫人に対して。
フォン・メック夫人は、生涯一度も顔を合わせることなく(道ですれ違うとかはあったらしいけど)、
手紙だけでやり取りをし続けた、チャイコフスキーのパトロンなのですが。
彼女には、「親愛なるわが友よ!」と書いています。
この「友」、ロシア語では男友達・女友達・複数の友達と、それぞれ単語が違うのですが、
フォン・メック夫人には男性形もしくは複数形を使っているんですね。
この徹底した線引き。何だか切ないような気すらするけど。
そして最後に、この記事を書くきっかけになった人。
アレクサンドル・ジロティ。チャイコフスキーより一世代若いピアニストで、ラフマニノフの従兄にあたる人です。
なんと彼あてのお手紙は、「小鳩ちゃんサーシャ!」で始まっています。
この「小鳩ちゃん」という表現、若い男の子に言う普通の表現らしく、
弟のモデストとかにも言ってるんですが、
正直、こばとちゃんて!ってなんかこっちが照れるわ。笑
そういえばロシア人の彼氏と付き合ってた子が、
きみのことがかわいくてしょうがなくて、みたいな感じで言われた単語を辞書で調べたら、
うさぎのしっぽちゃんって意味でさーどう受け取っていいかもうわからないよね、とか言ってたことあったなぁ。笑
なんかロシア語、そういう動物に当てはめた親密表現が多いらしいので、この辺も掘り下げてみたら面白かったりして。笑
ラフマニノフ・スクリャービン・ストラヴィンスキー・メトネル・プロコフィエフ・ショスタコーヴィチ・その他ソ連現代の作曲家、と続くので気が抜けない日々が始まります。
ということで、今のうちに、前に先延ばしにしたチャイコフスキーのお話を忘れないうちに書こうと。笑
前回モスクワに行ったときに買ったチャイコフスキーの書簡集ををぱらぱらと見ていて気づいたのですが。
手紙というのはたいてい「親愛なる○○様」みたいな書き出しで始まりますが、
チャイコフスキーが相手によってそれをちょっと書き分けているのです。
ロシア語では、ドイツ語などのヨーロッパ言語と同じく、
相手を呼ぶときに「あなた」と「きみ」の2種類の呼び方があるのと、
「父称」という、お父さんの名前から作るミドルネーム的なものがあって、
父親の名前に、男性の場合ヴィチ、女性の場合はヴナを付けると父称になり、
先生とか目上の人は名前+父称で呼ぶと敬称になったり、
仲良しだったり年下だったりすると、名前を簡略化した愛称で呼んだり、という3つを組み合わせると、
だいたい何となく関係性が推測出来たりするのです。
例えば、ラフマニノフの場合、セルゲイが名前、ラフマニノフが名字、
お父さんがヴァシリーだったので、父称はヴァシリーにヴィチを付けて、ヴァシリエヴィチ。
ラフマニノフ先生!と呼ぶときは、セルゲイ・ヴァシリエヴィチと呼びます。
お友達なんかは、セルゲイの愛称、セリョージャと呼んだり。
で、チャイコフスキーの話に戻すと。
書簡集でまず多いのが、家族へのお手紙。
お父さんとお母さんのこと、愛するパパーシャとママーシャ!と書いてます。
日本語だと、おとーちゃんおかーちゃん♡みたいな感じか。笑
妹弟には、愛称+「きみ」。
同時代の作曲家、バラキレフやリムスキー=コルサコフにはちゃんと敬称で。
ミリー・アレクセーヴィチ、と、ニコライ・アンドレーヴィチ。で、「あなた」。
ちょっと面白いのが、弟子だったタネーエフに対して。
最初は名前のセルゲイの愛称、セリョージャ+「あなた」で呼びかけたりしていたのが、
しばらくしてセルゲイ・イヴァーノヴィチと父称付き+「あなた」で呼ぶようになり、
20年経ったらセルゲイ・イヴァーノヴィチ+「きみ」になるという。笑
私は、ロシア語の先生からもピアノの先生からも「あなた」で呼ばれていたので、
「先生なんで私に『きみ』を使わないんですか?」と訊いたところ、
「子供のころから知ってるならまだしも、大学院生に『きみ』とか使えないじゃない」と言っていて。
でも「きみ」で呼ばれている留学生仲間の方が多かったので、
これは呼ぶ人の感覚的なところに寄るところが多いらしい。
チャイコフスキーとタネーエフの話の時に自分の話を例えに出すのはどうかと思うけど。
でもチャイコフスキーとタネーエフは、お互いの作品に意見し合うような、
師弟関係を超えた作曲家仲間でもあったので、
チャイコフスキーがタネーエフをどう見ていたかも透けて見えるかなーと。
あとタネーエフが超まじめな人だったので、からかってるつもりとかもあるのかなとか。笑
さらに興味深いのが、フォン・メック夫人に対して。
フォン・メック夫人は、生涯一度も顔を合わせることなく(道ですれ違うとかはあったらしいけど)、
手紙だけでやり取りをし続けた、チャイコフスキーのパトロンなのですが。
彼女には、「親愛なるわが友よ!」と書いています。
この「友」、ロシア語では男友達・女友達・複数の友達と、それぞれ単語が違うのですが、
フォン・メック夫人には男性形もしくは複数形を使っているんですね。
この徹底した線引き。何だか切ないような気すらするけど。
そして最後に、この記事を書くきっかけになった人。
アレクサンドル・ジロティ。チャイコフスキーより一世代若いピアニストで、ラフマニノフの従兄にあたる人です。
なんと彼あてのお手紙は、「小鳩ちゃんサーシャ!」で始まっています。
この「小鳩ちゃん」という表現、若い男の子に言う普通の表現らしく、
弟のモデストとかにも言ってるんですが、
正直、こばとちゃんて!ってなんかこっちが照れるわ。笑
そういえばロシア人の彼氏と付き合ってた子が、
きみのことがかわいくてしょうがなくて、みたいな感じで言われた単語を辞書で調べたら、
うさぎのしっぽちゃんって意味でさーどう受け取っていいかもうわからないよね、とか言ってたことあったなぁ。笑
なんかロシア語、そういう動物に当てはめた親密表現が多いらしいので、この辺も掘り下げてみたら面白かったりして。笑