工藤真希子 Official Website

2014年07月12日

ロシア音楽史の講義

さて、私の本業は一応ピアニストですが、
大学でロシア音楽史の講義を持たせていただいています。
ピアニストがロシア音楽史?とお思いの方もいらっしゃると思いますので、
どんな話をしているか、今年度の第1回目の講義でお話ししたことの趣旨をまとめてみたいと思います。

私の講義では、ロシアの西欧音楽作曲家、
グリンカからショスタコーヴィチまで(時間があればもう少し現代まで)を、
どのような人生を歩み、それがどういう音楽を書くのに関係したか、という流れでお話ししています。

また、ロシアの西欧音楽というのは、
幾人かの天才作曲家と、それをサポートし次へ繋いだ作曲家たちのおかげで、
各人の才能が密接に絡み合いながら、一気に発展したという印象もあるので、
出来るだけ時間軸を追いながら、作曲家同士がどう関連していたかもお話しするようにしています。

それプラス、ロシア音楽の歴史は、ちょうどロシアの歴史が大きく動いた時代に発展したのもあり、
その作曲家がその音楽を書いた時の歴史背景もちょいちょいお話ししています。


クラシック音楽というのは、同じ楽譜をいろんな演奏家たちが寄ってたかって演奏する世界なわけで(笑)。
自分より上手い演奏家なんて、上を見たらいくらでもいる。
それに、楽譜通りになら機械にだって弾ける。

そんな中で、どれだけ楽譜通りか、だけではなく、音符と音符の間にある何かを読み取りながら、
自分なりのその音楽の演奏の仕方を見つけていく作業が必要になってくると思いますし、
それこそが、その人がその曲を演奏する理由、
そして、世の中に演奏家がたくさんいていい理由になってくるのではと思っています。

私も演奏家ですし、私が教えているのも演奏家を目指す学生たちがほとんどなので、
彼らがロシアものを弾くことになって、その楽曲を解釈しなきゃいけないときに、
出来るだけ作曲家の思ったものと近いものが想像できるお手伝いが出来たらと思っています。

私がモスクワに留学して2週間くらい経った頃、
日曜日の朝9時、音楽院の前の道路を挟んだ向かいにある教会から、
礼拝の始まりを告げる鐘の音が聞こえてきて、その音の洪水を間近で浴びたとき、
あー、これなんだ、と、すべてが腑に落ちた記憶があります。
あれが私の留学生活の視点の原点でもあると思います。

ロシアに留学する前、ロシア人のピアノの先生から、
「ラフマニノフの音楽は鐘の音と歌から出来てるんだよ」といつも言われていて。
この時、ラフマニノフが聴いていたのはこの鐘の音だったのか!と思ったのです。

たくさんのロシアの作曲家が、このロシアの教会の鐘の音を音楽に取り入れていますが、
これを演奏するときに「鐘の音」と言われて日本のお寺の鐘の音を想像したら、ちょっと違う。
そういうような、ちょっとしたズレを修正するお手伝いが出来たらと。


もう一つ、留学して感じたこと。
作曲家は神様ではなく、凄まじい才能を持った「人間」であったということ。

私はもともと文化人類学を専攻していたので、
文化であったり、人々の日常であったり、そういう切り口でモノを見るのが好きなのですが、
文化とは、つまりその人・その集合体での「普通」のことを言うのだと考えています。
なので、私の講義では、ロシア人作曲家も人間であったということを土台に、
彼らにとっての「普通」はなんだったのか、そしてそれがどう音楽に反映されているかという部分を、
私の6年間のフィールドワーク(笑)で感じたことと絡めてお話していけたらと思っています。


…はー長い。すみません。ちゃんと書かないとなので。
そしてちゃんとした感じのこと言ってますけどね、試行錯誤の連続です。笑
ロシアに留学していた思い出はどんどん遠くなっていくばかりなので、
その分何を補強できるか、常に考えていないとなと思っています。
posted by makiko-kudo at 22:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常

2014年07月05日

リサイタル、終了。

20140629.JPG
先週6月29日、地元で約2年ぶりのソロリサイタルを開催いたしました。
今回は曲目変更もあり、ご迷惑・ご心配をお掛けして大変申し訳ありませんでしたが、
ご来場頂きました皆様、応援して下さった皆様のおかげで、滞りなく終えることが出来ました。


ピアニストというのは孤独な職業だなぁとずっと思っていて。
特に一人で舞台に立つときはいつも、その孤独感とどう戦うか、どう克服していくか、
そんなことを考えながら今までピアノを弾いてきた気がします。

でも今回は、1人で舞台に立っていても、なんだか孤独ではなかったのです。
人生で初めて(!)の、とても不思議な感覚でした。
もしかすると、戦うとか克服するとか、そういう問題ではなかったのかもしれません。

演奏や音楽的なこととしては、もちろん反省すべき点も今後頑張らなければいけないことも山積みですが、
精神的な部分で、新しい感覚に助けてもらったことは、とても良い経験となりました。

それもこれも、どこまで頼っても受け止め励ましてくれた周りの方々と、
温かい雰囲気で私を迎えて下さったお客様のおかげです。
この場を借りまして、本当に、ありがとうございました!


また、私のリサイタルでは毎回アンケートを取らせて頂いているのですが、
そちらでも様々な感想を寄せて頂きました。
お褒めの言葉はありがたく拝受し、ご意見は取り入れ、
さらによりよい演奏活動が展開できますよう、精進してまいりますので、
どうぞ今後とも温かく見守っていただけたらと思います。

もう一度、本当にありがとうございました!

工藤真希子
posted by makiko-kudo at 22:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 非日常

2014年07月02日

完全帰国から2年

2年前の昨日、2012年7月1日、6年間のモスクワ留学を終えて日本に帰って来ました。
…正直、あれからまだ2年かー!という感じ。
この2年、日本に慣れるのに必死だったなぁ。笑


そもそも完全帰国を決めるのもとても迷ったのです。
留学することを決めるより、帰る日を決める方が難しかったかもしれません。

2006年に初めてモスクワに行った時に、ロシア語会話についていけなくて、
本当に「ダー」(ロシア語のYes)しか出てこなくて、
「これ私、犬がワンワン言ってるのと一緒じゃん…orz」と思ったことがあって。

それが6年かけて、犬から、Noの言える人間になり(笑)、日本人留学生になり、ピアノ弾いてる人になり、大学院生になり、尊重してもらえる日本人になり…という段階を、自分で手に入れたという実感もあったので、
それを断ち切ってしまうのが、もったいないと思ったのです。

それに、夏休み毎に日本に戻ってくると、
どんどん日本の「普通」とずれていく自分を持て余していたのもあり、
帰ってくるのが本当にこわかった。

でも、ロシアは私にとっておばあさんになるまで住む国ではないというのは分かっていたし、
この国で外国人が音楽の仕事を得るのは難しいだろうというのも実感していたので、
もしロシアに残るなら、音楽以外の仕事をすることになる、という決意も必要だったし。

やっぱり音楽の仕事がしたい、それにいつか帰るなら、大学院を修了した今帰るべきだろうと思い、
2012年の7月、完全帰国することを決めたのでした。

…ま、実際は、日本にも音楽の仕事はなかなかなくて、ずいぶん鬱々した日々を送りましたが。笑
でも帰国前、周りの仲間から「3年は我慢だよ」と言われていたことを考えると、
帰国して2年、少しずつでも遣り甲斐のあるお仕事をさせて頂いているのは幸せだな、と思います。

お写真は、完全帰国の日、空港で飛行機に乗る直前。どんだけ手荷物多いのよ(笑)
この後、お見送りの友人たちが泣くのを見て笑いながらバイバイしたんですが、
飛行機の中でみんなからもらった手紙を読んで、フライトアテンダントが心配するくらい大号泣したという。笑
写真 3.JPG
posted by makiko-kudo at 21:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出
ht